蓮(はす)のこと
8月の花と言うと何を思い浮かべるだろうか。
関西ではお盆ということもあり、蓮の花を思い浮かべる人も多いだろう。
蓮は元来、仏様が蓮華の上に座っているように、仏教ととても縁の深い植物である。今も、多くの寺院で、境内の池や睡蓮鉢に蓮を栽培していたりする。そして、仏教の伝来以来なのかどうかはわからないが、古来「はちす」という呼び名で歌にもたくさん詠まれている。
この「はちす」というのは果実が蜂の巣に似ていることが由来のようだ。
仏教といけばなとの関係で言うと、元々日本では常緑樹を立てて神様の依り代とする風習があったが、仏教の伝来後は仏様に花を供える「供花(くげ)」も加わり、その供花がいけばなに発展したといわれている。今から二百年ほど前にできた未生流の格花も、二代目広甫が京都の大覚寺の華務職になった例からもわかるように、神仏に供えることができる花として存在してきた。私自身も、現在、神社の華務職として、献花式の際には、格花をいけて供えさせていただいている。
蓮に話を戻すと、伝書の中には、いけられた蓮の花の中に過去、現在、未来を見ることが説かれている。過去や未来は実際には見ることができないけれど、心眼で、過去の蕾の時、未来の蓮台の時をみるようにいわれている。このことが悟りに通じる道となるということだ。
悟りとは何なのか、なかなか難しいことではあるけれど、これはすべての事象について言われていることではないだろうか。現在目の当たりにしていることをそのまま捉えるだけでなく、想像力を働かせて、どのような過去が今につながり、そしてどのように未来につながっていくのか、考えながら生きることの大切さを蓮の花を通して説いているのだろう。